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漫画家・雷句誠氏をめぐる騒動について(『金色のガッシュ!!』)

漫画家・雷句誠氏をめぐる騒動について(『金色のガッシュ!!』)

「いくらなんでも、それはないだろう…」

 

漫画家・雷句誠氏が年賀状イラストをめぐる騒動について、自身の見解を表明し、大きな注目を集めている。

 

この件は韓国の一部ファンからの批判が発端となって始まった。

 

投稿の撤回や修正、さらには謝罪を求める要求に疑問を呈する声が高まった。

 

一体何があったというのか?

 

以下、今回の騒動の経緯と、言いがかりとしか言いようのない批判についてお話したい。

 

「雷句誠の騒動」一体、何があったのか?

全ては『金色のガッシュ!!』の著者、雷句誠氏が2025年元日に、自身の代表作『金色のガッシュ!!』のキャラクターを用いた年賀状イラストをX(旧Twitter)に投稿したことから始まった。

 

以下はその投稿。

 

 

このイラストに対し、韓国の一部ファンが背景デザインを「旭日旗を連想させる」と批判し、雷句氏に対して次のような要求を行ったのだ。

 

  • イラストの撤回と修正
  • 謝罪
  • 歴史的事実の再学習

 

雷句氏はこれに対し、「意図的に不快感を与えるために描いたものではない」と説明し、謝罪や修正要求を拒否しました。

 

雷句氏の投稿。

 

 

また、背景デザインについては「旭日旗を意識したものではない」と明言し、今回の騒動に対して毅然とした姿勢を示しました。

 

旭日旗の定義とは?

ご存知かもしれないが、ここで改めて旭日旗とは?と問い掛けてみたい。

 

「旭日旗」とは、日本の伝統的なデザインで、太陽を中心に放射状の光線が広がる形状を持つ旗を指す。

 

このデザインは日本の海軍旗や陸軍旗として歴史的に使用され、大漁旗や祝い事でも一般的に使われている。

 

現在では、日本国内では祝い事や日常的なデザインとして使われることが多い一方で、韓国や一部の国では日本帝国主義の象徴と見なされ、批判の対象となる場合がある。

 

特に、第二次世界大戦時の歴史的背景を理由に強く反発する動きが見られる。

 

デザインとしては、中心から放射状に線が伸びる構造が特徴だが、その使用や解釈については国や文化、歴史的背景により意見が分かれる場合がある。

 

場合がある、と何度も繰り返している理由は、どの程度の類似性があれば「旭日旗」とみなされるかについては明確な基準がないからだ。

 

つまり、これこれこうなら「旭日旗」である!ということではなく、受け取る側にとって『ある程度都合の良い解釈がされてしまってもおかしくないものである』ということだ。

 

このイラストが旭日旗とみなされる理由は?

問題視された背景デザインは、日の出をイメージしたものだったが、放射状の線が描かれていたことが旭日旗を連想させる要因となったと考えられる。

 

ただし、雷句氏はこれを否定し、「おめでたい日の出」として描いたと説明している。

 

正直、どう見ても日の出にしか見えないのだが、問題は「旭日旗」にこれといった定義がないために『なんとなく似ている』という主観が生まれる可能性があるということなのだ。

 

韓国のファン一同とは具体的に誰を指すのか?

公開された声明文には「韓国のファン一同」とあったが、具体的な個人名や団体名は明示されていない。

 

ということは、ただ個人が主観で書きこんでいるだけの可能性もあるわけだ。

 

個人でなかったとしても、どこぞの掲示板などで盛り上がった内容を「韓国ファン一同」と銘打って名乗っている可能性も無きにしも非ず。

 

いずれにせよ、「一同」という表現には無理がありすぎないか。

 

一同ということは「仲間全体」であり、韓国のファン全体が意見を一にした書き込みであるとは考えにくいのだが。

 

過去の似たような抗議や問題の事例は?

こういったニュースを見るたびに『なんだか昔もこんなことあったな』と感じるのは、それだけ「この手の問題」が多いからだろう。

 

さて具体的にはどのような例が過去あったというのだろうか。

 

以下に、『鬼滅の刃』や『僕のヒーローアカデミア』で問題となった具体的な事例を解説したい。

 

『鬼滅の刃』における問題

『鬼滅の刃』では、以下のような事例が問題視された。

 

旭日模様への批判
アニメ版『鬼滅の刃』のキャラクターである竈門炭治郎(かまどたんじろう)が着用する羽織の柄が、韓国の一部視聴者に「旭日模様を連想させる」と批判された。ただし、実際には炭治郎の羽織の模様は市松模様(緑と黒の格子柄)であり、旭日旗と直接関係がないデザインである。この指摘は主観的解釈に基づくもので、制作側から公式な対応はなかった。

 

大正時代の描写に対する感情
『鬼滅の刃』は大正時代が舞台であり、日本の歴史や文化が作品に色濃く反映されている。一部の視聴者が、日本の文化描写そのものに対して過敏に反応したケースがあった。

 

『僕のヒーローアカデミア』における問題

『僕のヒーローアカデミア』では、以下のような事例が物議を醸した。

 

キャラクター名の問題
敵キャラクター「志賀丸太」(しがまるた)の名前が韓国や中国の一部ファンから「旧日本軍の人体実験を連想させる」と批判された。「丸太」という言葉が、日本軍が人体実験の被験者を指す隠語として使用した歴史があるため、この名前が意図的な侮辱だと捉えられたのだ。

 

医者キャラクターの描写
志賀丸太が医者でありながら人体実験や改造に関与する設定であったため、「731部隊が行った非人道的な実験を想起させる」との批判が出た。731部隊は、戦時中に人体実験を行ったとされる組織であり、このような背景を思わせる描写が、キャラクター設定に反映されているのではないかと受け取られた。

 

対応策
批判を受け、作者の堀越耕平氏および出版社が謝罪。キャラクター名を変更し、単行本の修正版を発行した。この対応は一定の評価を受けた一方で、創作の自由との兼ね合いについて議論を呼んだ。

 

他国の文化的価値観に対する配慮の範囲は?

今回の件に関して、「細かなことでグラグダ言うな!」「言いがかりだ!」というのは実に簡単なことであるが、しかし、あえてそう簡単に事を済ませずに少し考えてみたい。

 

まずは、韓国や中国は日本のメディアを受け容れてくれる巨大な市場であるということだ。

 

今や時代はグローバル?いや、そんな言葉さえもはや過去のものといってよいほど、世界はつながっている。

 

日本の漫画は世界で受け入れられている重要なコンテンツであり、作品がグローバルな文化的感度を持って評価されることは、国際的な信頼感を得る助けとなる。

 

一方で、過剰に他国の価値観に合わせようとすると、創作の幅が制限され、オリジナリティが失われる危険がある。これは、作品のクオリティや独自性を損なうことにもつながる。自国での文化的背景や価値観が異なる場合、配慮が「屈服」と受け取られ、今度は国内ファンから反感を買うことにもなりかねない。

 

お互いの利益を考えた「現実的な配慮」を切に求める

配慮しない場合でも、なぜその判断をしたのか明確に説明することで、相手国の誤解を減らすことができる(かもしれない)。たとえば、「この表現は特定の意図を持つものではなく、純粋な創作の一環である」と明言することが必要。これにより、対話の窓口を閉ざさず、摩擦を最小化できる(かもしれない)。

 

ただし、絶対に譲れないラインを明確化することを忘れてはならない。

 

創作者や企業にとって譲れない要素(ブランドアイデンティティや創作の独自性など)を事前に定め、それ以外の部分では柔軟に対応する姿勢を持つ。

 

特定の市場でのみ改変を行うローカライズ戦略を採用しするのもありで、これはよくあるケースかもしれない。たとえば、特定のデザインや内容を国内版と海外版で分ける方法などががその良い例として挙げられる。

 

また批判が起きた場合、感情的に反論するのではなく、事実と意図を明確に伝える迅速な対応が重要だ。これにより、炎上や誤解の拡大を防ぐことができる。

 

結論

今回の雷句誠氏による毅然とした対応は、個人的に正しいものであると思う。

 

黒いものが胸にざわめくほどに、表現の自由を守る重要性を改めて考えさせるものであったと感じた。

 

今後も、同様の問題が再び起きる可能性が高い(ほぼ確定)。

 

冷静で建設的な議論を通じて解決を図ることが求められるところだろう。

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