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エクソシストの悪魔の正体とは?パズズと名乗らなかった本当の理由とは

その名は語られず、ただ“恐怖”だけが残された

エクソシストの悪魔の正体とは?パズズと名乗らなかった本当の理由とは

『エクソシスト』を観たあと、こう思った人はいないか?

 

――「で、あの悪魔の正体は何だったんだ」と。

 

神父は名を呼ばず、母は戸惑い、少女は叫ぶ。

 

だが、最後まで“名前”は出てこない。

 

これはただの演出か、それとも意図的な隠蔽か。

 

俺はこう見る。

 

そこには、観る者の想像力に委ねるという、冷徹なまでに計算された“仕掛け”があった。

 

そして、真の名――“パズズ”の意味を知ったとき、あの物語が別の相貌を見せ始める。

 

悪霊がサタンではなくパズズであることは、原作者のウィリアム・ピーター・ブラッティが明言している。

映画冒頭で、メリン神父がニネヴェの遺跡で出会う青銅製の像(護符)
それは「パズズ」――南西の風の悪霊であり、本の中でも名指しされている存在だ。

William Peter Blatty on why there is good in ‘The Exorcist’(英文)

 

(なお、パズズは護符として扱われていたこともある。妊婦と産婆の“お守り”だった。大英博物館のサイトで見られちゃう)

  • 名称:Pazuzu amulet (head only)

  • 素材:青銅製

  • 時代:新アッシリア時代(紀元前800~700年頃)

  • サイズ:高さ約3.8cm × 幅3.2cm

  • 所蔵:British Museum, Room 56 (Middle East)

  • リンク先 大英博物館所蔵 BM 134624:パズズ頭部青銅護符

 

なにはともあれ。

 

さあ、幕の裏を覗きにいこうじゃないか。

 

Table of Contents

『エクソシスト』に登場する悪魔の名前は?“パズズ”って何者?

映画の中ではなぜ名前が出てこないのか?

『エクソシスト』を観て「結局あの悪魔、名前なんだったの?」と思った人、少なくないはずだ。

 

だが映画は一言も“パズズ”とは言わない。

 

なぜか?それは観客をじわじわと不安に陥れるため。名前がない=得体が知れない=怖い、という心理を突いている。

 

原作小説では「キャプテン・ハウディ」と名乗る。このふざけた名前の裏にいるのがパズズ。要するに、名前を伏せたまま恐怖だけを前面に出したかったわけだ。やり方が陰湿で上手い。

 

ちなみに、悪魔と対峙する神父たちに“実在モデル”はいたのか?気になる人は、神父の正体に迫ったこちらの記事をどうぞ。

 

パズズはどのシーンで登場していた?

姿こそはっきり出ないが、あいつは何度もチラついてる。代表的な場面を挙げよう。

  • リーガンの部屋の幻影
  • 幻覚的な夢のビジョン
  • 冒頭のイラク発掘シーン

この手の「はっきり映さない恐怖」はホラーの王道だが、『エクソシスト』はそれを極限まで引き上げてる。視聴者に「見たような、でも断言できない」不気味さを与えてくる。

 

 

パズズは本当に存在した神?メソポタミア神話との関係とは?

パズズは悪魔じゃなく“風の守護神”だった?

ここがややこしい。パズズはもともと古代メソポタミアの神、というより「風の精霊」。

 

特に南西の風を司り、病気や悪霊から人を守るとされていた。妊婦や子供の守護神として信仰された痕跡もある。

 

つまり、あいつは「悪魔」どころか「ヒーロー枠」だった。これが後の映画で化け物扱いされる皮肉。まるでヒーローが誤解で悪役にされてるようなもんだ。

 

どうして“守護神”が映画で悪の象徴になったのか?

理由は単純。パズズの外見がヤバすぎた。

 

ライオンの顔、ワシの足、サソリの尾。どう見ても悪役だ。デザイン的に「いかにも邪悪」な造形が、ホラーのビジュアルにうってつけだった。

 

守護神だったかどうかなんて、映画の演出にとっちゃ関係ない。「絵になるかどうか」これが重要。だから悪魔に仕立て上げられたわけだ。

 

なぜパズズは少女リーガンに取り憑いた?

リーガンが選ばれた理由は偶然か、過去に原因があったのか?

偶然?いや、違う。

 

リーガンはウィジャボードで“キャプテン・ハウディ”と遊んだ。それが入口になった。

 

つまり、彼女自身の行動が「招き入れる隙」を作ってしまったんだ。

 

霊的な存在というのは、常に扉を探している。開けたのはリーガンだった。それだけの話だ。

 

冒頭の発掘場面と悪魔憑きにはどんなつながりがあるのか?

イラクの発掘でパズズ像が見つかる場面。あれがすべての始まりだ。

 

古代の邪神が現代に目覚める…という「神話的な再臨」をほのめかしている。

 

このシーンがなければ、単なる少女の“異変”で終わっていた。

 

「文明の奢りに対するしっぺ返し」そんなメッセージも読み取れる。

 

パズズとルシファーやバフォメットの違いとは?

キリスト教の悪魔体系でパズズはどう扱われる?

結論から言う。パズズはキリスト教の悪魔体系とは無関係。

 

メソポタミア出身の神格であって、ルシファーの部下でもなければ、地獄の幹部でもない。

 

にもかかわらず、観客は勝手に「キリスト教の悪魔」として受け取る。映画のせいだ。混同が常態化した結果、今では“パズズ=悪魔”が通説になってしまっている。

 

バフォメットやベルゼブブとどう区別されているのか?

バフォメットは異端思想の象徴、ベルゼブブは堕天使の一種。

 

それぞれ背景が違う。

 

パズズはもっと前の時代――文明が宗教と未分化だった頃の「風の力」の具現化だ。

 

つまり、出自が根本的に違う。混ぜて語るのは、カレーとシチューをごっちゃにするようなもんだ。

 

映画の“悪魔描写”は神話のリアルに基づいているのか?

首が回る・空中浮遊は神話の演出?それとも映画の脚色?

言うまでもないが、完全に映画の脚色。

 

神話にそんなヨガじみた技は出てこない。空中浮遊も首360度回転も、演出のために加えられた“見せ場”だ。

 

あれはリアリティよりショック効果優先。

 

観客のトラウマに訴える仕掛けとして設計されている。

 

神話のパズズの性質と映画の悪魔像にどんな違いがあるのか?

神話のパズズは、守ってくれる神様。

 

映画のパズズは、人間を乗っ取る悪魔。

 

この違いは致命的だが、演出としては成功している。

 

守護者の顔をした怪物を“悪”に仕立てる――その倒錯が、『エクソシスト』の根底にある不気味さを支えている。

 

『エクソシスト』以外でパズズが登場する映画や作品は?

パズズが使われたアニメ・ドラマ・ホラー映画の例は?

意外と出てくる。たとえば――

  • 『ウルトラマンガイア』:パズズが怪獣として登場。やっぱり暴れる。
  • 『シャドウバース』:カードゲームでは「劇毒の魔風」として描かれ、能力もイカれてる。
  • 『ガンダムパズズ』:ファンメイドのガンプラで、悪魔風モビルスーツとして登場。

いずれも「不気味」「強そう」「禍々しい」って要素を持ったキャラとして使われている。

 

なぜパズズは“有名悪魔”として使われ続けているのか?

単純に、見た目が強すぎる

  • ライオンの頭
  • 鷲の脚
  • サソリの尾

この組み合わせは、クリーチャーデザインとして秀逸。

 

創作界隈では「見た目の説得力」が何より大事。だから再利用される。

 

冒頭の“パズズ像”にはどんな意味が込められている?

イラクで発掘された像が物語に与えた意味とは?

あれは「古代の何かが目覚める」ことを象徴している。

 

ただの石像じゃない。現代社会が気付かずに“封印”を解いてしまったことのメタファーだ。

 

観客はこの時点で、無意識に“来るぞ”と覚悟を決めさせられる。

 

パズズ像は“呼び水”か“警告”か?考察される意図は?

俺の見立てでは、あれは警告だ。

 

発掘=人間の知的探究心。

 

だがその結果、手を出してはいけないものに触れてしまう。

 

知の代償、文明の過信、それに対する“異界からの一撃”

 

――そう捉えると、あのパズズ像はめちゃくちゃ深い意味を持っている。

 

パズズは単なる「映画の悪魔」じゃない。

 

元は人を守る神であり、それが時代を経て悪魔へと変貌した――。

 

その過程こそが、俺たちが“恐怖”とどう向き合ってきたかの歴史そのものだ。

 

結局、最後パズズはどうなってしまったのか?

結論から言う。

 

パズズは、“姿を変えたまま残ってる”。いまも。

 

カラス神父の自己犠牲によって、少女リーガンからは追い出された。乗り移ったカラス自身も、命を絶つことで“受け皿”を壊した。

 

詳しくは以下の記事で:映画エクソシスト、ラストの意味は?飛び降りた神父が選んだ「答え」

つまり、あの時点で「憑依」は解除された。表向きは。

 

だが問題はそこじゃない。

 

パズズという存在は、物語の中で“倒された”わけじゃない。

  • 封印もされてない
  • 滅びてもいない
  • 忘れ去られてすらいない

むしろ逆。映画を通して、“恐怖の象徴”として世界中に拡散された。

 

もともとは“守護神”だった存在が、ホラーのアイコンとして一人歩きし、ゲーム・アニメ・フィギュア・ネットミームにまでなってる。

 

つまり、“少女からは出ていった”が、俺たちの頭の中には、ずっと住んでる。

 

顔も名前もバッチリ覚えたろ?

 

それが、パズズの「勝利」なんじゃないか――とすら思えるよ。

 

まとめ

  • 『エクソシスト』の悪魔は、名前を語られないことで逆に恐怖を増幅させていた。
  • その正体“パズズ”は、実は古代メソポタミアの守護神だったという皮肉。
  • 映画はあえて神話の背景を無視し、“不気味さ”と“禍々しさ”を強調した。
  • 少女リーガンが取り憑かれたのも偶然じゃなく、自ら扉を開いた結果だ。
  • 冒頭のパズズ像は、ただの小道具じゃない。物語全体の“予兆”として機能している。
  • こうして記事を読んでいるあなたに認知されたパズズは、すでに勝利している。

――要するに、“悪魔”とは何かを決めるのはいつだって人間の側だってこと。

 

見た目や伝説より、「どう描かれるか」のほうが、よっぽど恐ろしい。

 

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