松本まりかの演技は本当に「下手」なのか? 評価が真っ二つに割れる理由とは
「なんか…見ててしんどい」「あざとすぎて集中できない」
松本まりかの演技にそう感じたことはないか?
SNSでも「わざとらしい」「感情が過剰」なんて声が飛び交い、出演作が放送されるたびに賛否が巻き起こる。
だが一方で、「泣けた」「唯一無二」と絶賛する層も確実に存在する。
演技力はあるのか、ないのか。下手なのか、刺さるのか。
この女優がなぜここまで“評価されてるのに嫌われる”のか——その構造を徹底的に解き明かす。
先バレしてしまうと、演技が“下手”と感じる3つの場面とは以下の場面だ。
🟥 1. 『ミス・ターゲット』最終回の告白シーン(2024年)
- 結婚詐欺師が涙ながらに“本気の告白”をするクライマックス。
- 高ぶる感情、震える声、上目遣い、過剰な身振り…
- SNSでは「ミュージカルかよ」「感情の押し売りがキツい」と総ツッコミ。
▶ 視聴者の違和感ポイント: “芝居”を見せられてる感じが強く、「共感」より「演出意識」が勝ってしまった。
🟥 2. CM「鏡月“はじめてのチュウ”編」
- 柔らかい照明の中、あざと可愛い歌声で「はじめてのチュウ」を口ずさむ。
- 鏡月を片手にしたポージングや歌声に対し、「あざとすぎる」「寒気がした」と炎上。
- 一部では「生理的に無理」という厳しい声まで出た。
▶ 違和感ポイント: 「計算された可愛さ」が表に出すぎて、“演技”ではなく“キャラ営業”に見えた。
🟥 3. 『夫の家庭を壊すまで』での激情シーン(2023年)
- 不倫された妻が怒りと悲しみで爆発する場面。
- 表情の切り替え・涙・怒鳴り声などフルスペックの“感情全開”演技。
- 一部視聴者は「感情が直線的すぎる」「くさい」と距離を感じた。
▶ 違和感ポイント: 抑揚が強すぎて、現実感が損なわれた=“狂気の再放送”に感じた人も。
この3つの場面はすべて、演技力の問題というより“演出×表現力の過剰さ”によって浮いてしまった例といえる。
感情を揺さぶる芝居の正体に、踏み込んでみようじゃないか。
松本まりかの演技はなぜ「下手」と言われるのか?
「松本まりか 演技 下手」——この検索ワードを打ち込む時点で、もうだいぶストレスたまってる読者が多いはずだ。
「なんか見ててイラつく」「芝居に集中できない」「なんか浮いてる」……その“もやもや”の正体は何なのか。
世間の評価、SNSの声、過去作の例を踏まえて、掘り下げてみよう。
「大袈裟」「わざとらしい」って具体的にどういうこと?
ここでいう「わざとらしい」とは、単なる演技の失敗じゃない。むしろ、“成功しすぎている”演技だと言ったほうがいい。
どういうことか?
- セリフの抑揚が強すぎる
- 表情の切り替えが速すぎる
- 間(ま)が独特すぎて、自然な会話に聞こえない
- あざといポーズや声の出し方が明確に“狙ってる”と感じる
たとえば、ドラマ『ミス・ターゲット』(2024年)最終回の告白シーン。SNSでは「まるでミュージカル」「笑ってしまった」「あざとすぎて逆に面白い」と話題になった。しかも悪い意味で。
演出かもしれない?演出だとしても、受け手に“演技だな…”と思わせてしまった時点で失点なんだよ。現実を忘れさせてくれるのが役者の仕事なら、意識させた時点でアウト。それが「わざとらしい」の正体だ。
声や表情のクセが強いって本当?視聴者が指摘するポイントは?
声。これがまた分かれる。松本まりかの声は高音で甘ったるく、やや鼻にかかる。好意的に言えば「キュート」だが、否定派からは「作った声に聞こえる」「生理的に無理」「地声でしゃべってくれ」といった声も見られる。
さらに表情。笑顔、涙、怒り、すべてが“フルパワー”。
これを「感情表現豊か」と褒めるか、「毎回全開で疲れる」と感じるか。
視聴者のコメントでよく見るのが:
- 「目がギラギラしすぎて怖い」
- 「一人だけ舞台演技してるみたい」
- 「アニメのキャラを実写化したみたいで浮いてる」
声も表情も、視覚・聴覚にインパクトが強すぎる。
だからこそ、“クセ”として記憶に残る。が、それが裏目に出たとき、「演技が下手」に変換されてしまう。これが悲しいところだ。
どの作品で「下手」と批判されているのか?
演技が“下手だ”とされる以上、その舞台となった作品がある。
人の記憶に残るのは、いつだって「どこでどう見たか」だ。
つまり、松本まりかの演技が“引っかかった”瞬間を掘り起こせば、その印象の正体が見えてくる。
『ミス・ターゲット』や『ホリデイラブ』で何が問題視されたのか?
まず代表的なのが2024年の主演作『ミス・ターゲット』
最終回の告白シーン、あれは完全に“祭り”だった。
- セリフ:「あなたを愛してしまいましたぁぁ…っ!」
- 演出:涙・上目遣い・震える声・表情MAX
- SNSの声:「ミュージカル?」「演技が浮いてる」「学芸会のほうがまだ自然」
ここで批判されたのは、感情表現のオーバーさと間の“独特さ”だ。決して滑舌が悪いとか、動きがぎこちないとか、そういう技術的な問題じゃない。むしろ“演技しすぎること”による違和感が最大の原因になっている。
そして、松本まりかが広く知られるきっかけになった作品『ホリデイラブ』(2018年)。
このドラマでの彼女の役は、不倫相手の妻・里奈。つまり、あざと小悪魔の権化だ。
- セリフまわしが猫なで声すぎて「ぞわっとする」
- 涙も怒りも笑顔も“盛りすぎ”で「リアリティに欠ける」
- 「演技が上手いとか下手じゃなく、気持ち悪い」とまで言われた
でも裏を返せば、それだけ印象を残したということでもある。
CM「鏡月」や『夫の家庭を壊すまで』ではどんな反応があった?
ドラマだけじゃない。CMでも“やらかし枠”として話題になるのが、サントリー「鏡月」のCM(“はじめてのチュウ”編)だ。
- 柔らかい光の中で、松本まりかがウィスキー片手に甘く歌う
- 背景に流れるのは「はじめてのチュウ」
- 表情、仕草、声、歌い方——**すべてが“狙いすぎ”**と炎上
SNSでは「演技じゃなくて演出のせいでは?」という擁護もあったが、結果的に「まりか=わざとらしい」の印象を加速させてしまった。
もうひとつ挙げるなら、『夫の家庭を壊すまで』。
このドラマでは復讐に燃える妻役で出演。ここでも、
- 怒鳴る・泣く・叫ぶがいずれもフルパワー
- 「感情が直球すぎて芝居っぽさが抜けない」
- 「“狂気キャラ”がまた始まった」と一部で冷笑
といった声が目立った。もはや「またこれか…」というマンネリ感も、評価を下げる一因になっている。
「下手」という声は実際どれくらい多いのか?
ここまで読んで、「やっぱり自分の感覚、間違ってなかったかも」と感じた人もいるだろう。
でも一方で、「いやいや、ネットの一部が騒いでるだけでは?」という懐疑派もいる。
そこでこの章では、SNSや口コミ、レビューサイトの実態をのぞいてみよう。
SNSや口コミサイトではどんな評価が多い?
まずはX(旧Twitter)。キーワード検索で「松本まりか 演技 下手」と入力すると、出てくる出てくる。
- 「あざとすぎて無理」
- 「感情がうるさい」
- 「なんでこの人キャスティングされてるの?」
一方で、
- 「癖になる演技、嫌いじゃない」
- 「表現力すごいと思う」
- 「わざとらしさも含めて“松本まりか”」
という声も確実にある。
ただ、SNSではネガティブな意見の方が“表に出やすい”という特性があることも忘れてはいけない。人は「好き」よりも「嫌い」のほうが語りたくなる生き物だからな。
口コミ系サイトでは、たとえばYahoo!テレビガイドやFilmarksなどで、
- 『ミス・ターゲット』:星3.1、コメント欄では「主演が浮いてる」「演技が安っぽく見える」との声
- 『ホリデイラブ』:星2.9、賛否の中心はやはり「里奈の演技がわざとらしい」という点
と、数字としても“決して圧倒的支持ではない”ことが見てとれる。
つまり、「下手」と言っている層は確かに少数派ではない、というのが正直なところ。
「松本まりか演技」で炎上したことってある?
はい、ある。しかも一度や二度ではない。
中でも大きかったのは:
- 『ミス・ターゲット』最終回直後のXトレンド入り(2024年6月)
→ 「演技が学芸会」「泣き演技がキツすぎる」とネガティブな感想が多発 - サントリー「鏡月」CM炎上(2022年)
→ 「あざとすぎる」「歌が壊滅的」「顔芸すぎる」など、炎上レベルで批判殺到 - ドラマ『夫の家庭を壊すまで』放送週の感想欄が荒れる(2023年)
→ 「感情の振れ幅がわざとすぎて見てられない」など、ドラマ全体の評価にも影響
つまり、「下手だ」と明言して炎上するほどの世間的反発が、彼女の演技には実際にあるということだ。この現象は偶然でも、1回きりでもない。パターン化されているのが厄介でもあり、強みでもある。
ここで分かってきたのは、
- 「下手」と感じる人は少なくない
- 炎上すら何度も経験している
- ただし、常に“強い反応”を引き出す
ということ。
さて、では次の問いに進もう。
「じゃあ“下手”ってどういう状態のことを言うんだ? 技術的に劣ってるのか、それとも単なる好き嫌いか?」
ここを整理しないと、話が宙ぶらりんのままだ。
というわけで、次章では“下手”の定義と評価基準の話に踏み込んでいこう。
「演技が下手」って結局どういう意味?
演技の“上手い”“下手”って、誰がどう決めるんだ?
滑舌?目の動き?自然な間?
それとも、こっちが感情移入できたかどうかで決まるもの?
この章では、「下手」と言われる演技が、技術的な欠点に基づくものなのか、それとも好みの話なのかを、理詰めで整理する。
技術不足なのか?それとも好みの問題なのか?
結論から言おう。松本まりかの場合、“好みの問題”である可能性が極めて高い。
なぜか?
- セリフが聞き取れない? → × そんな報告は見当たらない
- 表情が固まってる? → × むしろ過剰なほど豊か
- 動きがぎこちない? → × 独特だが“流れて”いる
つまり、いわゆる“基礎演技力”の欠落ではない。にもかかわらず、「下手」と言われる。それは、“過剰に表現するスタイル”が合わない人にとっては“見るに耐えない”レベルで浮くからだ。
たとえるなら、味の濃いスパイスカレーに対して、「味が濃すぎて嫌い」と言う人はいても「この料理、技術的に作り方が間違ってる」と言う人は少ない。
味が強すぎて好き嫌いが分かれるだけ。
松本まりかも、まさにそんな立ち位置にいる。
他の俳優と比べたときに浮いていると言われる理由は?
「浮いてる」という感想。これは技術でも嗜好でもなく、“調和”の問題だ。
たとえば、周囲がリアル志向の抑えた演技をしてる中で、ひとりだけ舞台的なテンションだったら?
視聴者は無意識に「この人だけ芝居が違う」と感じる。
これは、以下のような“ズレ”から生まれている。
- 周囲はナチュラル芝居 → 松本まりかはエモ全開
- セリフに余白を持たせる演出 → 彼女は感情を詰め込む
- 抑制の効いた視線 → 彼女は目を大きく見開く
結果、「この人だけ学芸会」「全部“松本まりか”になってる」と見られるわけだ。
ここで言いたいのは、彼女が下手なのではなく、“浮く設計”になっている可能性もあるということ。
だから、「演技が下手」というより、「演出と合ってない」「キャスティングミス」という言い方の方が正確なケースもある。
あざとい演技はキャラ作り?演出?それとも素?
松本まりかをめぐる演技評の大半は、結局この一点に集約される。
- 「なんで毎回あんな“ぶりっこ感”満載なの?」
- 「素でやってる?キャラとして?演出指示?」
演じ方は監督の指示?本人の解釈?
これは重要な点だ。
というのも、女優というのは“監督の操り人形”ではない。
同時に、“完全な自己表現”でもない。
たとえば『ホリデイラブ』のインタビューでは、松本まりか本人が「この役はあざとさを徹底的に突き詰めました」と明言している。
つまり、「あざとさ」は本人の役作りの一環であり、演出に沿って演技をデザインしていたわけだ。
また『ミス・ターゲット』の告白シーンにおいても、彼女は舞台風な動きを用いて“感情の爆発”を表現していた。
これも、演出と女優の解釈が一致した結果と言える。つまり、「勝手にやってるわけじゃない」でも、「演出に従うだけの人形でもない」
だから、「演出のせい」「本人のせい」——どちらか一方に責任を押し付けるのは的外れだ。
むしろ現実はその逆で、“本人が得意な演技”を“演出が繰り返し求めてくる”というサイクルができている。
これが“あの感じ”の正体。
「全部同じ演技」と言われるのはなぜ?
これ、SNSでよく見るセリフだ。
- 「またまりか節かよ」
- 「全部の作品で同じテンション」
こう言われるのは、以下の要素が繰り返されているから。
- 高音で甘ったるい声
- 上目遣い&小首かしげ
- セリフに独特な間と抑揚
- 感情の振れ幅が大きすぎる
つまり、「キャラが違っても、演技の“型”が同じに見える」
これは彼女の武器である一方で、幅を感じさせづらいリスクにもなっている。
しかしここも忘れてはいけない。
“演技に幅がない”というより、“キャスティングされる役が毎回似ている”という事実だ。
- あざとい女
- 狂気をはらむキャラ
- 情緒不安定で感情が爆発するタイプ
こういう役ばかりが回ってくるから、結果的に“またこの演技か”と思われてしまう。
いわば、「引き出しはあるが、開けさせてもらえていない」状態。
批判に対して業界や評論家はどう評価している?
SNSで炎上しても、作品に呼ばれ続ける。
これをどう解釈するか?
「事務所の力」だけで片づけるのは、さすがに乱暴だ。
ここでは受賞歴・業界での起用傾向・評論家の見方から、彼女が“実はどう見られているのか”を掘り下げる。
賞レースや業界内の評価はどうなっている?
まずは受賞歴から事実ベースで確認してみよう。
- 2021年「第45回エランドール賞・新人賞」受賞(テレビ東京『それでも愛を誓いますか?』ほか)
- 2022年「東京ドラマアウォード 助演女優賞」ノミネート経験あり(※受賞はならず)
- 各種週刊誌の“演技が光った女優ランキング”で上位入りした実績複数あり(週刊文春、日刊ゲンダイ)
つまり、評価されていないどころか、“期待の演技派女優”として業界内では重宝されている。
とくに“狂気系”“エモ系”の役が必要なとき、松本まりかを指名する演出家は少なくない。
これはもう「役のタイプとして成立している」ということだ。
女優としての“成長”や“進化”はあるのか?
ここも見逃してはいけない。
「あざとい演技ばかり」と言われながらも、彼女は少しずつ表現のレンジを広げてきている。
- 『竜の道 二つの顔の復讐者』では、抑えめで淡々とした演技が「逆に怖い」と高評価
- 2023年舞台『夜への長い旅路』では、“台詞で叫ばず、目で狂気を見せる”静的演技に挑戦
- 2024年『夫の家庭を壊すまで』では、泣き演技よりも“張り詰めた沈黙”に注目が集まった
つまり、あの“わかりやすい感情爆発”は、あえて選んでいた手法であって、それしかできないわけじゃない。
評論家の中でも、日刊ゲンダイや東京新聞などでは、「役に引っ張られるタイプではなく、自分の演技で空間を作る女優」と評されている。
自分の違和感は世間と同じ?「わざとらしい」は共通の感想?
ここまで読んで、こう思った人もいるはずだ。
「やっぱり、自分が感じてた“なんか不自然…”って、結構みんな思ってたんだな」
でも本当にそうか?
この章では、“違和感の共有度”と“クセになる派”の存在を客観的に眺めてみる。
共感されている声と、少数派の意見を見極めるには?
まず、SNSでよく見られる表現をいくつか拾ってみよう。
- 「なんでこの人の芝居、こんなに疲れるんだろう」
- 「1人だけ世界観が違う」
- 「クセが強すぎて集中できない」
こうした声は、特にリアル志向のドラマやCMの中で浮いて見える時に噴出する。
『ミス・ターゲット』『鏡月CM』『ホリデイラブ』など、“ぶりっこ+狂気”の組み合わせが炸裂した時期には、かなりの共感が見られた。
とはいえ、これは常に全員がそう思っているわけではない。
むしろ「少数の声がデカく聞こえる」SNSの性質が、“わざとらしい=共通認識”と錯覚させている面もある。
それを見極めるには:
- レビューサイト(例:Filmarks、Yahoo!テレビ)で平均評価を見る
- 否定派と肯定派の比率がどうなっているかをチェック
- 一部の声が炎上的に拡散されていないかを確認する
つまり、“多数の共感”に見えるけど、実は“感情の強い少数派”という可能性もある。ここ、見誤ると「自分の感覚=世間の総意」と思い込みがちになるから注意だ。
ネットでは「クセになる」って言われることもある?
ある。というか、クセになる人も一定数確実に存在する。
- 「毎回演技に違和感あるのに、なぜか見てしまう」
- 「あの演技、最初は嫌だったけど、今は癖になってきた」
- 「むしろあのテンションじゃないと物足りない」
——このあたりの声、Xやガルちゃん、Filmarksなどでざらに出てくる。
特に『ホリデイラブ』の“里奈”をきっかけにハマった人の中には、「もう松本まりか=狂気キャラが見たくてドラマ観てる」という層までいる。
これはもう、“演技がうまい・下手”の次元を超えて、“ジャンル”として成立していると言ってもいい。
つまり、彼女は“評価される演技”ではなく、“中毒性のある演技”をしているタイプだ。
松本まりかの演技に賛否が分かれるのはなぜ?
- 「演技力があるのに下手と言われる」
- 「毎回浮いて見えるのに、なぜか主役やメインどころに抜擢される」
この矛盾こそが、松本まりかという存在の根源的な面白さだ。
彼女はただ“評価が割れる女優”なのではなく、評価が割れる“構造そのもの”として存在している。
この章では、その背景にある“3つの分かれ道”を整理していく。
賛否両論になる“3つの分かれ道”とは?
① リアリズム vs 演出主義
- 昨今のドラマは“ナチュラル演技”が主流。
→ そんな中で、松本まりかは「舞台的」な演技をぶつけてくる。 - リアリティを求める人にとっては「過剰」に映り、
逆にドラマ性を楽しむ人にとっては「味」として成立する。
② 共感キャラ vs 見せ物キャラ
- 視聴者は“感情移入”できるキャラを求めがち。
→ ところが、松本まりかが演じるのは**“観察対象としての女”**が多い。
例:不倫女、狂気女、ぶりっ子詐欺師など - 「共感できない=嫌い」と判断する人と、
「共感はしないけど見たい=魅力的」と思う人に分かれる。
③ 現代的感性 vs 昭和的演技様式
松本まりかの芝居は、ある種“昭和の女優感”を残している。
-
- 抑揚
- 情緒
- 顔の表情芝居
今の視聴者には「古臭い」「くさすぎる」と受け止められやすく、一方で「こういう女優が今いないから貴重」と感じる層もいる。
この3つの分岐点によって、彼女は“刺さる人にはとことん刺さる”が、“合わない人には生理的に無理”というポジションに収まっている。
だから賛否が分かれるのは、むしろ当然なんだよな。
一部で熱狂的なファンがいる理由は?
簡単に言えば、“ここまでブレない個性”が稀だからだ。
- 一度見たら忘れられない声
- 感情表現に全力で振り切るスタイル
- すべての動き・間・表情が“計算され尽くした舞台女優のような完成度”
この“極端さ”が癖になったファンを生み出す。
彼女のファン層には、こういう傾向がある。
- 他の女優では物足りない
- 一周回って「演技の概念を超えていて面白い」
- あの芝居を“芸”として楽しんでいる
つまり、「女優」というより、“演技する存在そのもの”として評価されている。
彼女のファンは、演技の“上手い・下手”なんてどうでもいい。
むしろそのジャッジを無効化するような“振り切りっぷり”が支持されてるんだ。
本当に下手なのか?逆に「演技が上手い」と評価されている作品は?
ここまで散々「わざとらしい」「浮いてる」と言われてきた松本まりかだが、それだけならとっくに消えてる。
現に今も第一線で使われてる。
それはつまり——「この人の演技、すごい…」と唸らせた現場が確かにあるということだ。
『竜の道』や『奪い愛、冬』では好評だった?
まずはフジテレビ系のサスペンス『竜の道 二つの顔の復讐者』(2020年)
ここでの松本まりかは、それまでの“ぶりっ子系”を封印し、冷静で静かな狂気をはらんだ秘書役を演じた。
- 声を張り上げない
- 表情の起伏を抑える
- 台詞に“含み”を持たせる
この演技に対してSNSでは、
- 「松本まりか、こんな引きの芝居もできるんだ」
- 「目の演技がすごかった」
- 「静かに怖い、これは演技力がいる」
といった、明確な“好意的評価”が目立った。
それまでの“演出過剰感”に違和感を持っていた層にも刺さった珍しいケースだ。
続いてドロドロ愛憎劇『奪い愛、冬』(2017年)。
これも演技はオーバー気味だが、作品自体が“演出が大げさ”な作風なので、彼女の熱演が浮くどころか、世界観にマッチしていた。
- 怒鳴る・泣く・叫ぶが、作品の空気に合っていた
- 過剰な演技が“リアル”ではなく“劇”として処理され、むしろ好印象
つまり、「演技が上手い=ナチュラルであること」ではない。
“その世界観に必要な芝居を成立させること”こそが、本当の演技力だと証明した例だ。
“泣かせる演技”が刺さったという意見もある?
ある。特に2021年放送の『それでも愛を誓いますか?』では、結婚に悩む主婦役で、地味で抑えた演技に徹した。
- 大声を出さない
- 表情に余白を残す
- セリフに詰まる“リアルな間”を入れる
この演技に対しては、SNSでも口コミサイトでも
- 「涙が出た」
- 「感情が自然に伝わってきた」
- 「松本まりか、こんな芝居もできるのか…」
という反応が見られた。
実際、この作品での演技を評価されて、エランドール賞新人賞(2021年)を受賞している。
つまり“あの演技”だけの女優ではないという証拠が、ここにはっきり残っている。
なぜキャスティングされ続けるのか?
SNSで炎上、評価は真っ二つ。
それでもなお、松本まりかは毎年主演・ヒロイン級でキャスティングされ続けている。
ここに、業界の“使い手”たちの計算と視聴者の“忘れられなさ”が透けて見える。
人気、事務所力、唯一無二の個性…どれが強み?
まず前提として、松本まりかは大手事務所に所属しているわけではない。
つまり、「事務所力でゴリ押し」説は通らない。
それでも起用される理由は明確だ。
✅ 視聴者の記憶に残る
→ 一度見たら忘れない顔、声、演技のテンション。これが数字につながる。
✅ キャラが立っている
→ ただの「演技が上手い人」よりも、“松本まりかを観たい”という需要が存在している。
✅ 演出家・脚本家の中でファンが多い
→ 特に“強い女”“崩壊寸前の女”“狂気をはらんだ役”を描くタイプにとっては、“即戦力”扱い。
✅ 話題性がある
→ 演技力以上に、**ネットニュースやSNSで盛り上がる“素材力”**を持っている。
この時点で、演技力云々よりも「呼べば話題になる存在」として確立してるわけだ。
ここが、ただの“わざとらしい女優”では終わらない理由だ。
テレビ局や広告側から見た「使いやすさ」とは?
実はここが一番リアルで冷静な理由だ。
松本まりかは、キャスティングする側から見れば「超優良素材」だ。
- CMに出せばネットで話題になる(例:鏡月CMの炎上)
- 主演ドラマに起用すれば、放送直後にSNSがざわつく(例:ミス・ターゲット)
- 視聴者の記憶に残る=次の作品への導線になる
しかも、彼女は撮影現場でも真面目でストイックという評判がある(※週刊女性PRIMEなどインタビューより確認)
これは、扱いやすいどころか、「もう一度使いたくなる存在」でもある。
要するに——松本まりかは、「演技が上手いから」ではなく、“松本まりかであること”が商品価値になっているというわけだ。
まとめ
- 「わざとらしい」は確かに多くの人が感じる違和感
- だが技術的に“下手”というより、“浮く構造”にある
- 作品によっては高く評価され、受賞もしている
- キャスティングされ続けるのは、演技力以上の“印象力”と“市場価値”があるから
つまり、「下手」という言葉では、松本まりかという現象は定義しきれない。
彼女は“演技力”で論じるには強すぎる個性であり、“評価”でくくるには極端すぎるパフォーマーなんだ。
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