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松本まりか、わざとらしい?演技が“下手”と感じる3つの場面とは

松本まりかの演技は本当に「下手」なのか? 評価が真っ二つに割れる理由とは

松本まりか、わざとらしい?演技が“下手”と感じる3つの場面とは

「なんか…見ててしんどい」「あざとすぎて集中できない」

 

松本まりかの演技にそう感じたことはないか?

 

SNSでも「わざとらしい」「感情が過剰」なんて声が飛び交い、出演作が放送されるたびに賛否が巻き起こる。

 

だが一方で、「泣けた」「唯一無二」と絶賛する層も確実に存在する。

 

演技力はあるのか、ないのか。下手なのか、刺さるのか。

 

この女優がなぜここまで“評価されてるのに嫌われる”のか——その構造を徹底的に解き明かす。

 

先バレしてしまうと、演技が“下手”と感じる3つの場面とは以下の場面だ。

 

🟥 1. 『ミス・ターゲット』最終回の告白シーン(2024年)

  • 結婚詐欺師が涙ながらに“本気の告白”をするクライマックス。
  • 高ぶる感情、震える声、上目遣い、過剰な身振り…
  • SNSでは「ミュージカルかよ」「感情の押し売りがキツい」と総ツッコミ。

視聴者の違和感ポイント: “芝居”を見せられてる感じが強く、「共感」より「演出意識」が勝ってしまった。

 

🟥 2. CM「鏡月“はじめてのチュウ”編」

  • 柔らかい照明の中、あざと可愛い歌声で「はじめてのチュウ」を口ずさむ。
  • 鏡月を片手にしたポージングや歌声に対し、「あざとすぎる」「寒気がした」と炎上。
  • 一部では「生理的に無理」という厳しい声まで出た。

違和感ポイント: 「計算された可愛さ」が表に出すぎて、“演技”ではなく“キャラ営業”に見えた。

 

🟥 3. 『夫の家庭を壊すまで』での激情シーン(2023年)

  • 不倫された妻が怒りと悲しみで爆発する場面。
  • 表情の切り替え・涙・怒鳴り声などフルスペックの“感情全開”演技。
  • 一部視聴者は「感情が直線的すぎる」「くさい」と距離を感じた。

違和感ポイント: 抑揚が強すぎて、現実感が損なわれた=“狂気の再放送”に感じた人も。

 

この3つの場面はすべて、演技力の問題というより“演出×表現力の過剰さ”によって浮いてしまった例といえる。

 

感情を揺さぶる芝居の正体に、踏み込んでみようじゃないか。

 

Table of Contents

松本まりかの演技はなぜ「下手」と言われるのか?

「松本まりか 演技 下手」——この検索ワードを打ち込む時点で、もうだいぶストレスたまってる読者が多いはずだ。

 

「なんか見ててイラつく」「芝居に集中できない」「なんか浮いてる」……その“もやもや”の正体は何なのか。

 

世間の評価、SNSの声、過去作の例を踏まえて、掘り下げてみよう。

 

「大袈裟」「わざとらしい」って具体的にどういうこと?

ここでいう「わざとらしい」とは、単なる演技の失敗じゃない。むしろ、“成功しすぎている”演技だと言ったほうがいい。

 

どういうことか?

  • セリフの抑揚が強すぎる
  • 表情の切り替えが速すぎる
  • 間(ま)が独特すぎて、自然な会話に聞こえない
  • あざといポーズや声の出し方が明確に“狙ってる”と感じる

たとえば、ドラマ『ミス・ターゲット』(2024年)最終回の告白シーン。SNSでは「まるでミュージカル」「笑ってしまった」「あざとすぎて逆に面白い」と話題になった。しかも悪い意味で。

 

演出かもしれない?演出だとしても、受け手に“演技だな…”と思わせてしまった時点で失点なんだよ。現実を忘れさせてくれるのが役者の仕事なら、意識させた時点でアウト。それが「わざとらしい」の正体だ。

 

声や表情のクセが強いって本当?視聴者が指摘するポイントは?

声。これがまた分かれる。松本まりかの声は高音で甘ったるく、やや鼻にかかる。好意的に言えば「キュート」だが、否定派からは「作った声に聞こえる」「生理的に無理」「地声でしゃべってくれ」といった声も見られる。

 

さらに表情。笑顔、涙、怒り、すべてが“フルパワー”。

 

これを「感情表現豊か」と褒めるか、「毎回全開で疲れる」と感じるか。

 

視聴者のコメントでよく見るのが:

  • 「目がギラギラしすぎて怖い」
  • 「一人だけ舞台演技してるみたい」
  • 「アニメのキャラを実写化したみたいで浮いてる」

声も表情も、視覚・聴覚にインパクトが強すぎる

 

だからこそ、“クセ”として記憶に残る。が、それが裏目に出たとき、「演技が下手」に変換されてしまう。これが悲しいところだ。

 

 

どの作品で「下手」と批判されているのか?

演技が“下手だ”とされる以上、その舞台となった作品がある。

 

人の記憶に残るのは、いつだって「どこでどう見たか」だ。

 

つまり、松本まりかの演技が“引っかかった”瞬間を掘り起こせば、その印象の正体が見えてくる。

 

『ミス・ターゲット』や『ホリデイラブ』で何が問題視されたのか?

まず代表的なのが2024年の主演作『ミス・ターゲット』

 

最終回の告白シーン、あれは完全に“祭り”だった。

  • セリフ:「あなたを愛してしまいましたぁぁ…っ!」
  • 演出:涙・上目遣い・震える声・表情MAX
  • SNSの声:「ミュージカル?」「演技が浮いてる」「学芸会のほうがまだ自然」

ここで批判されたのは、感情表現のオーバーさと間の“独特さ”だ。決して滑舌が悪いとか、動きがぎこちないとか、そういう技術的な問題じゃない。むしろ“演技しすぎること”による違和感が最大の原因になっている。

 

そして、松本まりかが広く知られるきっかけになった作品『ホリデイラブ』(2018年)。

 

このドラマでの彼女の役は、不倫相手の妻・里奈。つまり、あざと小悪魔の権化だ。

  • セリフまわしが猫なで声すぎて「ぞわっとする」
  • 涙も怒りも笑顔も“盛りすぎ”で「リアリティに欠ける」
  • 「演技が上手いとか下手じゃなく、気持ち悪い」とまで言われた

でも裏を返せば、それだけ印象を残したということでもある。

 

CM「鏡月」や『夫の家庭を壊すまで』ではどんな反応があった?

ドラマだけじゃない。CMでも“やらかし枠”として話題になるのが、サントリー「鏡月」のCM(“はじめてのチュウ”編)だ。

  • 柔らかい光の中で、松本まりかがウィスキー片手に甘く歌う
  • 背景に流れるのは「はじめてのチュウ」
  • 表情、仕草、声、歌い方——**すべてが“狙いすぎ”**と炎上

SNSでは「演技じゃなくて演出のせいでは?」という擁護もあったが、結果的に「まりか=わざとらしい」の印象を加速させてしまった。

 

もうひとつ挙げるなら、『夫の家庭を壊すまで』。

 

このドラマでは復讐に燃える妻役で出演。ここでも、

  • 怒鳴る・泣く・叫ぶがいずれもフルパワー
  • 「感情が直球すぎて芝居っぽさが抜けない」
  • 「“狂気キャラ”がまた始まった」と一部で冷笑

といった声が目立った。もはや「またこれか…」というマンネリ感も、評価を下げる一因になっている。

 

「下手」という声は実際どれくらい多いのか?

ここまで読んで、「やっぱり自分の感覚、間違ってなかったかも」と感じた人もいるだろう。

 

でも一方で、「いやいや、ネットの一部が騒いでるだけでは?」という懐疑派もいる。

 

そこでこの章では、SNSや口コミ、レビューサイトの実態をのぞいてみよう。

 

SNSや口コミサイトではどんな評価が多い?

まずはX(旧Twitter)。キーワード検索で「松本まりか 演技 下手」と入力すると、出てくる出てくる。

  • 「あざとすぎて無理」
  • 「感情がうるさい」
  • 「なんでこの人キャスティングされてるの?」

一方で、

  • 「癖になる演技、嫌いじゃない」
  • 「表現力すごいと思う」
  • 「わざとらしさも含めて“松本まりか”」

という声も確実にある。

 

ただ、SNSではネガティブな意見の方が“表に出やすい”という特性があることも忘れてはいけない。人は「好き」よりも「嫌い」のほうが語りたくなる生き物だからな。

 

口コミ系サイトでは、たとえばYahoo!テレビガイドFilmarksなどで、

  • 『ミス・ターゲット』:星3.1、コメント欄では「主演が浮いてる」「演技が安っぽく見える」との声
  • 『ホリデイラブ』:星2.9、賛否の中心はやはり「里奈の演技がわざとらしい」という点

と、数字としても“決して圧倒的支持ではない”ことが見てとれる。

 

つまり、「下手」と言っている層は確かに少数派ではない、というのが正直なところ。

 

「松本まりか演技」で炎上したことってある?

はい、ある。しかも一度や二度ではない。

 

中でも大きかったのは:

  • 『ミス・ターゲット』最終回直後のXトレンド入り(2024年6月)
    → 「演技が学芸会」「泣き演技がキツすぎる」とネガティブな感想が多発
  • サントリー「鏡月」CM炎上(2022年)
    → 「あざとすぎる」「歌が壊滅的」「顔芸すぎる」など、炎上レベルで批判殺到
  • ドラマ『夫の家庭を壊すまで』放送週の感想欄が荒れる(2023年)
    → 「感情の振れ幅がわざとすぎて見てられない」など、ドラマ全体の評価にも影響

つまり、「下手だ」と明言して炎上するほどの世間的反発が、彼女の演技には実際にあるということだ。この現象は偶然でも、1回きりでもない。パターン化されているのが厄介でもあり、強みでもある。

 

ここで分かってきたのは、

  • 「下手」と感じる人は少なくない
  • 炎上すら何度も経験している
  • ただし、常に“強い反応”を引き出す

ということ。

 

さて、では次の問いに進もう。

 

「じゃあ“下手”ってどういう状態のことを言うんだ? 技術的に劣ってるのか、それとも単なる好き嫌いか?」

 

ここを整理しないと、話が宙ぶらりんのままだ。

 

というわけで、次章では“下手”の定義と評価基準の話に踏み込んでいこう。

 

「演技が下手」って結局どういう意味?

演技の“上手い”“下手”って、誰がどう決めるんだ?

 

滑舌?目の動き?自然な間?

 

それとも、こっちが感情移入できたかどうかで決まるもの?

 

この章では、「下手」と言われる演技が、技術的な欠点に基づくものなのか、それとも好みの話なのかを、理詰めで整理する。

 

技術不足なのか?それとも好みの問題なのか?

結論から言おう。松本まりかの場合、“好みの問題”である可能性が極めて高い。

なぜか?

  • セリフが聞き取れない? → × そんな報告は見当たらない
  • 表情が固まってる? → × むしろ過剰なほど豊か
  • 動きがぎこちない? → × 独特だが“流れて”いる

つまり、いわゆる“基礎演技力”の欠落ではない。にもかかわらず、「下手」と言われる。それは、“過剰に表現するスタイル”が合わない人にとっては“見るに耐えない”レベルで浮くからだ。

 

たとえるなら、味の濃いスパイスカレーに対して、「味が濃すぎて嫌い」と言う人はいても「この料理、技術的に作り方が間違ってる」と言う人は少ない。

 

味が強すぎて好き嫌いが分かれるだけ。

 

松本まりかも、まさにそんな立ち位置にいる。

 

他の俳優と比べたときに浮いていると言われる理由は?

「浮いてる」という感想。これは技術でも嗜好でもなく、“調和”の問題だ。

 

たとえば、周囲がリアル志向の抑えた演技をしてる中で、ひとりだけ舞台的なテンションだったら?

 

視聴者は無意識に「この人だけ芝居が違う」と感じる。

 

これは、以下のような“ズレ”から生まれている。

  • 周囲はナチュラル芝居 → 松本まりかはエモ全開
  • セリフに余白を持たせる演出 → 彼女は感情を詰め込む
  • 抑制の効いた視線 → 彼女は目を大きく見開く

結果、「この人だけ学芸会」「全部“松本まりか”になってる」と見られるわけだ。

 

ここで言いたいのは、彼女が下手なのではなく、“浮く設計”になっている可能性もあるということ。

 

だから、「演技が下手」というより、「演出と合ってない」「キャスティングミス」という言い方の方が正確なケースもある。

 

あざとい演技はキャラ作り?演出?それとも素?

松本まりかをめぐる演技評の大半は、結局この一点に集約される。

 

  • 「なんで毎回あんな“ぶりっこ感”満載なの?」
  • 「素でやってる?キャラとして?演出指示?」

 

演じ方は監督の指示?本人の解釈?

これは重要な点だ。

 

というのも、女優というのは“監督の操り人形”ではない。

 

同時に、“完全な自己表現”でもない。

 

たとえば『ホリデイラブ』のインタビューでは、松本まりか本人が「この役はあざとさを徹底的に突き詰めました」と明言している。

 

つまり、「あざとさ」は本人の役作りの一環であり、演出に沿って演技をデザインしていたわけだ。

 

また『ミス・ターゲット』の告白シーンにおいても、彼女は舞台風な動きを用いて“感情の爆発”を表現していた。

 

これも、演出と女優の解釈が一致した結果と言える。つまり、「勝手にやってるわけじゃない」でも、「演出に従うだけの人形でもない」

 

だから、「演出のせい」「本人のせい」——どちらか一方に責任を押し付けるのは的外れだ。

 

むしろ現実はその逆で、“本人が得意な演技”を“演出が繰り返し求めてくる”というサイクルができている。
これが“あの感じ”の正体。

 

「全部同じ演技」と言われるのはなぜ?

これ、SNSでよく見るセリフだ。

  • 「またまりか節かよ」
  • 「全部の作品で同じテンション」

こう言われるのは、以下の要素が繰り返されているから。

  • 高音で甘ったるい声
  • 上目遣い&小首かしげ
  • セリフに独特な間と抑揚
  • 感情の振れ幅が大きすぎる

つまり、「キャラが違っても、演技の“型”が同じに見える」

 

これは彼女の武器である一方で、幅を感じさせづらいリスクにもなっている。

 

しかしここも忘れてはいけない。

 

“演技に幅がない”というより、“キャスティングされる役が毎回似ている”という事実だ。

  • あざとい女
  • 狂気をはらむキャラ
  • 情緒不安定で感情が爆発するタイプ

こういう役ばかりが回ってくるから、結果的に“またこの演技か”と思われてしまう。
いわば、「引き出しはあるが、開けさせてもらえていない」状態。

 

批判に対して業界や評論家はどう評価している?

SNSで炎上しても、作品に呼ばれ続ける。

 

これをどう解釈するか?

 

「事務所の力」だけで片づけるのは、さすがに乱暴だ。

 

ここでは受賞歴・業界での起用傾向・評論家の見方から、彼女が“実はどう見られているのか”を掘り下げる。

 

賞レースや業界内の評価はどうなっている?

まずは受賞歴から事実ベースで確認してみよう。

  • 2021年「第45回エランドール賞・新人賞」受賞(テレビ東京『それでも愛を誓いますか?』ほか)
  • 2022年「東京ドラマアウォード 助演女優賞」ノミネート経験あり(※受賞はならず)
  • 各種週刊誌の“演技が光った女優ランキング”で上位入りした実績複数あり(週刊文春、日刊ゲンダイ)

つまり、評価されていないどころか、“期待の演技派女優”として業界内では重宝されている

 

とくに“狂気系”“エモ系”の役が必要なとき、松本まりかを指名する演出家は少なくない

 

これはもう「役のタイプとして成立している」ということだ。

 

女優としての“成長”や“進化”はあるのか?

ここも見逃してはいけない。

 

「あざとい演技ばかり」と言われながらも、彼女は少しずつ表現のレンジを広げてきている

  • 『竜の道 二つの顔の復讐者』では、抑えめで淡々とした演技が「逆に怖い」と高評価
  • 2023年舞台『夜への長い旅路』では、“台詞で叫ばず、目で狂気を見せる”静的演技に挑戦
  • 2024年『夫の家庭を壊すまで』では、泣き演技よりも“張り詰めた沈黙”に注目が集まった

つまり、あの“わかりやすい感情爆発”は、あえて選んでいた手法であって、それしかできないわけじゃない

 

評論家の中でも、日刊ゲンダイや東京新聞などでは、「役に引っ張られるタイプではなく、自分の演技で空間を作る女優」と評されている。

 

自分の違和感は世間と同じ?「わざとらしい」は共通の感想?

ここまで読んで、こう思った人もいるはずだ。

 

「やっぱり、自分が感じてた“なんか不自然…”って、結構みんな思ってたんだな」

 

でも本当にそうか?

 

この章では、“違和感の共有度”と“クセになる派”の存在を客観的に眺めてみる。

 

共感されている声と、少数派の意見を見極めるには?

まず、SNSでよく見られる表現をいくつか拾ってみよう。

  • 「なんでこの人の芝居、こんなに疲れるんだろう」
  • 「1人だけ世界観が違う」
  • 「クセが強すぎて集中できない」

こうした声は、特にリアル志向のドラマやCMの中で浮いて見える時に噴出する。

 

『ミス・ターゲット』『鏡月CM』『ホリデイラブ』など、“ぶりっこ+狂気”の組み合わせが炸裂した時期には、かなりの共感が見られた。

 

とはいえ、これは常に全員がそう思っているわけではない。

 

むしろ「少数の声がデカく聞こえる」SNSの性質が、“わざとらしい=共通認識”と錯覚させている面もある。

 

それを見極めるには:

  • レビューサイト(例:Filmarks、Yahoo!テレビ)で平均評価を見る
  • 否定派と肯定派の比率がどうなっているかをチェック
  • 一部の声が炎上的に拡散されていないかを確認する

つまり、“多数の共感”に見えるけど、実は“感情の強い少数派”という可能性もある。ここ、見誤ると「自分の感覚=世間の総意」と思い込みがちになるから注意だ。

 

ネットでは「クセになる」って言われることもある?

ある。というか、クセになる人も一定数確実に存在する。

  • 「毎回演技に違和感あるのに、なぜか見てしまう」
  • 「あの演技、最初は嫌だったけど、今は癖になってきた」
  • 「むしろあのテンションじゃないと物足りない」

——このあたりの声、Xやガルちゃん、Filmarksなどでざらに出てくる。

 

特に『ホリデイラブ』の“里奈”をきっかけにハマった人の中には、「もう松本まりか=狂気キャラが見たくてドラマ観てる」という層までいる。

 

これはもう、“演技がうまい・下手”の次元を超えて、“ジャンル”として成立していると言ってもいい。

 

つまり、彼女は“評価される演技”ではなく、“中毒性のある演技”をしているタイプだ。

 

松本まりかの演技に賛否が分かれるのはなぜ?

  • 「演技力があるのに下手と言われる」
  • 「毎回浮いて見えるのに、なぜか主役やメインどころに抜擢される」

 

この矛盾こそが、松本まりかという存在の根源的な面白さだ。

 

彼女はただ“評価が割れる女優”なのではなく、評価が割れる“構造そのもの”として存在している

 

この章では、その背景にある“3つの分かれ道”を整理していく。

 

賛否両論になる“3つの分かれ道”とは?

リアリズム vs 演出主義

  • 昨今のドラマは“ナチュラル演技”が主流。
    → そんな中で、松本まりかは「舞台的」な演技をぶつけてくる。
  • リアリティを求める人にとっては「過剰」に映り、
    逆にドラマ性を楽しむ人にとっては「味」として成立する。

 

共感キャラ vs 見せ物キャラ

  • 視聴者は“感情移入”できるキャラを求めがち。
    → ところが、松本まりかが演じるのは**“観察対象としての女”**が多い。
    例:不倫女、狂気女、ぶりっ子詐欺師など
  • 「共感できない=嫌い」と判断する人と、
    「共感はしないけど見たい=魅力的」と思う人に分かれる。

 

現代的感性 vs 昭和的演技様式

松本まりかの芝居は、ある種“昭和の女優感”を残している。

    • 抑揚
    • 情緒
    • 顔の表情芝居

今の視聴者には「古臭い」「くさすぎる」と受け止められやすく、一方で「こういう女優が今いないから貴重」と感じる層もいる。

 

この3つの分岐点によって、彼女は“刺さる人にはとことん刺さる”が、“合わない人には生理的に無理”というポジションに収まっている

 

だから賛否が分かれるのは、むしろ当然なんだよな。

 

 一部で熱狂的なファンがいる理由は?

簡単に言えば、“ここまでブレない個性”が稀だからだ。

  • 一度見たら忘れられない声
  • 感情表現に全力で振り切るスタイル
  • すべての動き・間・表情が“計算され尽くした舞台女優のような完成度”

この“極端さ”が癖になったファンを生み出す

 

彼女のファン層には、こういう傾向がある。

  • 他の女優では物足りない
  • 一周回って「演技の概念を超えていて面白い」
  • あの芝居を“芸”として楽しんでいる

つまり、「女優」というより、“演技する存在そのもの”として評価されている

 

彼女のファンは、演技の“上手い・下手”なんてどうでもいい。

 

むしろそのジャッジを無効化するような“振り切りっぷり”が支持されてるんだ。

 

 本当に下手なのか?逆に「演技が上手い」と評価されている作品は?

ここまで散々「わざとらしい」「浮いてる」と言われてきた松本まりかだが、それだけならとっくに消えてる。

 

現に今も第一線で使われてる。

 

それはつまり——「この人の演技、すごい…」と唸らせた現場が確かにあるということだ。

 

『竜の道』や『奪い愛、冬』では好評だった?

まずはフジテレビ系のサスペンス『竜の道 二つの顔の復讐者』(2020年)

 

ここでの松本まりかは、それまでの“ぶりっ子系”を封印し、冷静で静かな狂気をはらんだ秘書役を演じた。

  • 声を張り上げない
  • 表情の起伏を抑える
  • 台詞に“含み”を持たせる

この演技に対してSNSでは、

  • 「松本まりか、こんな引きの芝居もできるんだ」
  • 「目の演技がすごかった」
  • 「静かに怖い、これは演技力がいる」

といった、明確な“好意的評価”が目立った。

 

それまでの“演出過剰感”に違和感を持っていた層にも刺さった珍しいケースだ。

 

続いてドロドロ愛憎劇『奪い愛、冬』(2017年)

 

これも演技はオーバー気味だが、作品自体が“演出が大げさ”な作風なので、彼女の熱演が浮くどころか、世界観にマッチしていた

  • 怒鳴る・泣く・叫ぶが、作品の空気に合っていた
  • 過剰な演技が“リアル”ではなく“劇”として処理され、むしろ好印象

つまり、「演技が上手い=ナチュラルであること」ではない。

 

“その世界観に必要な芝居を成立させること”こそが、本当の演技力だと証明した例だ。

 

 “泣かせる演技”が刺さったという意見もある?

ある。特に2021年放送の『それでも愛を誓いますか?』では、結婚に悩む主婦役で、地味で抑えた演技に徹した

  • 大声を出さない
  • 表情に余白を残す
  • セリフに詰まる“リアルな間”を入れる

この演技に対しては、SNSでも口コミサイトでも

  • 「涙が出た」
  • 「感情が自然に伝わってきた」
  • 「松本まりか、こんな芝居もできるのか…」

という反応が見られた。

 

実際、この作品での演技を評価されて、エランドール賞新人賞(2021年)を受賞している

 

つまり“あの演技”だけの女優ではないという証拠が、ここにはっきり残っている。

 

 なぜキャスティングされ続けるのか?

SNSで炎上、評価は真っ二つ。

 

それでもなお、松本まりかは毎年主演・ヒロイン級でキャスティングされ続けている

 

ここに、業界の“使い手”たちの計算と視聴者の“忘れられなさ”が透けて見える。

 

人気、事務所力、唯一無二の個性…どれが強み?

まず前提として、松本まりかは大手事務所に所属しているわけではない

 

つまり、「事務所力でゴリ押し」説は通らない。

 

それでも起用される理由は明確だ。

 

視聴者の記憶に残る
→ 一度見たら忘れない顔、声、演技のテンション。これが数字につながる。

キャラが立っている
→ ただの「演技が上手い人」よりも、“松本まりかを観たい”という需要が存在している

演出家・脚本家の中でファンが多い
→ 特に“強い女”“崩壊寸前の女”“狂気をはらんだ役”を描くタイプにとっては、“即戦力”扱い。

話題性がある
→ 演技力以上に、**ネットニュースやSNSで盛り上がる“素材力”**を持っている。

 

この時点で、演技力云々よりも「呼べば話題になる存在」として確立してるわけだ。
ここが、ただの“わざとらしい女優”では終わらない理由だ。

 

テレビ局や広告側から見た「使いやすさ」とは?

実はここが一番リアルで冷静な理由だ。

 

松本まりかは、キャスティングする側から見れば「超優良素材」だ。

  • CMに出せばネットで話題になる(例:鏡月CMの炎上)
  • 主演ドラマに起用すれば、放送直後にSNSがざわつく(例:ミス・ターゲット)
  • 視聴者の記憶に残る=次の作品への導線になる

しかも、彼女は撮影現場でも真面目でストイックという評判がある(※週刊女性PRIMEなどインタビューより確認)

 

これは、扱いやすいどころか、「もう一度使いたくなる存在」でもある。

 

要するに——松本まりかは、「演技が上手いから」ではなく、“松本まりかであること”が商品価値になっているというわけだ。

 

まとめ

  • 「わざとらしい」は確かに多くの人が感じる違和感
  • だが技術的に“下手”というより、“浮く構造”にある
  • 作品によっては高く評価され、受賞もしている
  • キャスティングされ続けるのは、演技力以上の“印象力”と“市場価値”があるから

つまり、「下手」という言葉では、松本まりかという現象は定義しきれない

 

彼女は“演技力”で論じるには強すぎる個性であり、“評価”でくくるには極端すぎるパフォーマーなんだ。

 

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