暴力団「信貴組」の元組長を父にもつぱーてぃーちゃん信子。先祖も含めて、彼女の家族構成がすごすぎる!
この記事の画像はすべてご本人様のInstagramより拝借。
「ぱーてぃーちゃん」といえば、その明るく破天荒なキャラクターで知られる信子さん。
お笑い界で頭角を現し、視聴者を魅了してやみません。
そんな彼女ですが、実はその家庭環境が非常に異色であり、波乱万丈のドラマを持つ一家で育っています。
本記事では、信子さんの父・信貴久治氏を中心に、彼女の家族構成に迫りながら、その驚きの背景を詳細にお届けします。
信子さんのプロフィール
ぱーてぃーちゃん信子さんの本名は「信貴信子(しぎ のぶこ)」
1992年1月17日、大阪府堺市で生まれましたが、幼少期の多くを大分県で過ごします。
彼女のユニークな発想や明るい性格は、幼い頃から「特殊」と言われる環境で培われたと言われています。
信子さんの芸人としてのスタートは、持ち前のトーク力と派手なキャラクターで注目を集めたことに始まります。
彼女が語るエピソードの背景には、家族の影響が色濃く反映されており、時に視聴者を驚かせる話題となっています。
信子さんの父・信貴久治氏の正体
暴力団「信貴組」の元組長
信子さんの父・信貴久治氏は、暴力団「信貴組」の元組長として知られる人物でした。
戦後の混乱期に大阪府堺市を拠点とし、キャバレーや風俗店を運営することで勢力を拡大。
地元では「信貴組」として名を轟かせ、多くの人に恐れられました。その中でも、久治氏は先見性に優れ、ただの組長ではなく実業家としても成功を収めます。
事業の成功と豪邸の建築
不動産業への進出により、彼は巨万の富を築きました。
その象徴とも言えるのが、堺市に建設した33億円とも言われる豪邸。
この豪邸は、建物の外観がまるで城のようなデザインで、部屋数は100以上とも噂され、庭には噴水やプールが備え付けられていました。
家には家政婦が数名常駐し、信子さんが幼い頃にはお手伝いさんに囲まれながら暮らしていたというエピソードもあります。
この豪邸は地域でも一際目立つ存在で、地元住民からは「信貴城」と呼ばれていたとのこと。
信子さん自身も「家が大きすぎて迷子になったことがある」と語ったことがあります。
父親・信貴久治氏の波乱万丈な人生
衆議院選挙に出馬:「泉州の角栄」を目指して
1976年、久治氏は暴力団の組長という肩書きを持ちながら、無所属で衆議院選挙に出馬しました。
「泉州の角栄」という異名を持つ彼は、当時の政治家・田中角栄を崇拝しており、地元の堺市を変革したいという思いから政治の道を志したと言われています。
選挙活動では、莫大な資金力を活かし、豪華な宣伝活動を展開。
地元住民に家電製品や贈り物を配るなど、徹底的に支持を集めようとしました。しかし、この選挙買収行為が問題となり、公職選挙法違反で逮捕されるという結末を迎えます。
逃亡生活と逮捕
選挙買収の罪で実刑判決が確定する前、久治氏は逃亡を決意します
。なんとその逃亡期間は約3年間。地元を離れ、各地を転々としながら警察の目を逃れていました。
しかし、1996年、大分県内の隠れ家で身柄を確保され、波乱の逃亡生活は幕を閉じました。
事業の破綻と晩年
久治氏が一代で築いた不動産事業は、1991年に約350億円の負債を抱え破綻しました。
その結果、33億円の豪邸も競売にかけられ、家族の生活は一変します。
晩年の彼は健康を崩し、信子さんが15歳の頃に亡くなりました。
信子さんの母・信貴百合さんの存在
百合さんは大分県出身で、信貴久治氏と結婚しました。
夫の久治氏は大阪で多忙な事業活動を行っており、百合さんもその秘書的な役割を担っていました。
そのため、両親の多忙さから、信子さんが3歳の時に、母方の実家がある大分県に引っ越し、祖父母のもとで育てられることになりました。
信子さんが15歳の時に夫・久治氏が亡くなった後、百合さんはシングルマザーとして家族を支えました。
夫が生前に手掛けていた不動産事業を引き継ぎ、マンションを5棟ほど管理するなど、事業を継続していたとされています。その後、再婚し、新たな家庭を築いています。
信子さんは母の日に百合さんへの感謝の気持ちをSNSで表現するなど、母娘の関係は良好であることが伺えます。
また、テレビ番組で同じ墓に入りたいと語るなど、母親への深い愛情を示しています。
信子さんの家族構成の全貌
信子さんの家族構成をまとめると、以下のようになります。
- 父親: 信貴久治(元暴力団組長、実業家、不動産王)。
- 母親: 信貴百合(マンション経営を引き継ぎ、家族を支える)。
- 兄妹: 信子さんには40歳以上離れた兄や、一般人の妹がいるとされています。
- 夫: 大野裕平(アパレルブランドを運営するセレクトショップのオーナー)。
信子さんと徳川家康の関係
信子さんは、徳川家康の末裔であることを公言しています。
彼女の家系図によれば、曾祖母の代まで「徳川」姓を名乗っており、直系は徳川吉宗に繋がるとされています。実家には家系図が存在し、その最上部には徳川家康の名前が記されているとのことです。
また、信子さんの父・信貴久治氏も生前、徳川家の末裔であると語っていたとされています。
曾祖母が嫁入りするまで「徳川」姓を名乗っていたことから、信子さんの家系が徳川家に連なるものであることが伺えます。
さらに、信子さんはテレビ番組で、織田信長の末裔である織田信成さんと対談した際、自身が徳川家康の末裔であることを明かしています。
このように、彼女の家系は日本の歴史的名家と深い繋がりを持っていることが確認されています。
驚きのエピソードまとめ
信子さんの人生には、一般家庭では到底考えられないような驚きのエピソードが数多く存在します。
その背景には、父親・信貴久治氏の豪快な性格や、徳川家の末裔という由緒正しい血筋が深く関わっています。
ここでは、その中でも特に注目すべきエピソードを掘り下げてご紹介します。
33億円の豪邸で育った幼少期
信子さんが幼少期を過ごした堺市の豪邸は、総工費33億円と言われる壮大な建物でした。
この豪邸は100部屋以上があると噂され、庭には噴水やプール、さらには日本庭園と西洋庭園の両方を備えていたと言われています。
信子さんは幼少期、この広大な豪邸の中で「自分の部屋に帰れなくなって迷子になる」こともあったそうです。
また、家には複数の家政婦や運転手が常駐し、まるでお城のような生活を送っていました。
父親の誕生日には、大規模なパーティーが開かれ、近隣の有力者やビジネスパートナーが一堂に会するような豪華な催しだったといいます。
家政婦に囲まれた生活
信子さんの家庭では、家事をすべて家政婦が担っていました。
幼少期の信子さんは、家政婦が用意した食事を食べ、洋服も全て選んでもらっていたそうです。
父親の教育方針で「子どもが自分で何かをしなくても、環境が整えられるべき」という考えがあったと言われています。
しかし、こうした裕福な生活の中でも、父親は厳しい教育方針を持っており、「食事中に器を倒したら、自分では拾わずに家政婦を呼ぶ」というルールがあったと信子さんが語っています。
これが父親なりの「社会の上下関係を教える」教育だったとも言われています。
父親の選挙買収事件の記憶
信子さんが幼少期を過ごしていた頃、父親の信貴久治氏が衆議院選挙に出馬した際の買収事件が家族に大きな影響を与えました。
選挙活動中、周囲の人々が家に出入りし、何かと騒がしい日々だったそうです。
その中で信子さんは、選挙活動の一環として「大量の電化製品が家に運び込まれていた」ことを覚えていると語っています。
父親が逮捕された後、家族の生活は一変。信子さんが当時感じていた不安定さや、母親が奮闘する姿が、現在の彼女の強さやユーモアの基礎になっているようです。
突然の家計の破綻
父親が残した350億円の負債が原因で、信子さんの家庭は豪邸を手放さなければならなくなりました。
豪華絢爛な生活から一転、経済的な困難が家族を襲います。当時、信子さんはまだ10代でしたが、この経験を通じて「何があっても明るく生きることの大切さ」を学んだといいます。
母親の百合さんがその後も家族を支えるために必死に働き、生活を立て直していく姿が信子さんの記憶に強く残っているそうです。
徳川家康の末裔としての誇り
信子さんは、祖父母の家で過ごす中で、家族が徳川家康の末裔であることを聞かされて育ちました。
実家には家系図が飾られており、「自分のルーツを意識しなさい」と祖母からよく諭されていたそうです。
このような環境で育った信子さんは、「歴史の中で自分たちが繋がっている」という感覚を持ち、現在でもそれを誇りに思っています。
テレビ番組で織田信成さんと対談した際には、「私たちの先祖同士、昔は敵だったけど、今はこうして友好的に話せるのが面白い」と笑顔で語る場面がありました。
この歴史的な家系の話題は、彼女のユニークなキャラクターの大きな要素となっています。
父親との最後の別れ
信子さんが15歳の時、父・久治氏は病に倒れ、家族に見守られながら息を引き取りました。
父親の死後、家庭の中心は母親・百合さんへと移りますが、信子さんにとって父親の存在感は非常に大きく、その教えや思い出が現在の信子さんを形作る一部となっています。
「お父さんのように豪快に生きたい」「でも、困ったときは周りの人を大事にすることを忘れない」という信子さんの言葉から、父親への尊敬が伺えます。
まとめ
信子さんの家族構成は、一言では語り尽くせないドラマに満ちています。
父・信貴久治氏の波乱万丈の人生、母・百合さんの奮闘、そして徳川家康の末裔という血筋。
これら全てが、信子さんという唯一無二の芸人を形作る要素となっています。
彼女の人生の背景を知ることで、芸人としての彼女の魅力がさらに輝いて見えるのではないでしょうか。